礼拝190630

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年6月30日 教会学校合同礼拝 題:「福音を宣べ伝える」

聖書箇所:使徒行伝5章20節 説教:丸大勝牧師

初代教会での著しい神の働きは目を見張るものがあった。驚くべき出来事がエルサレムを中心に起こっていた。一方でアナニヤとサッピラ夫婦の結託した罪の失敗による裁きは、教会に非常な恐れを与えた。名誉欲、金銭欲、偽善の罪に捕らわれることにより信仰の道を踏み外した彼らの最後は教会に厳かな警告となった。しかしながら、神の御業は迫害にも拘わらず留められることはなかった。ユダヤ教最高権威者大祭司を筆頭にサドカイ人の迫害が益々激しくなる中、福音宣教は進められていった。彼らが使徒たちを迫害した理由がある。①神殿管理者である祭司たちの許可なく、神殿の境内で伝道したこと(21,28節)。②イエスの死刑は不当なことであり、その責任はサドカイ人にあると弟子たちが主張したこと(28節)。そこで、大祭司らは彼らを牢につなぎ、弾圧したのである。その最中、主は語られた。「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」(19節)。「人間に従うよりは、神に従うべきである・・・」(29-32節)。しかし、対立派閥であるパリサイ人の人々は慎重であった。律法学者ガマリエルは、クリスチャンの働きが神からのものかもしれないので、しばらく様子を見ようという態度をとった(38,39節)。厳しい状況下、教会は成長していった。その理由は、①多くの奇跡としるしが行われた(12節)。ペンテコステの力である聖霊の働きが顕著であった。②弟子たちは信仰の確信により権力者に対立していった(29節)。③福音を語るための励ましがあった(20節)。サドカイ人たちに牛耳られたユダヤの最高政治機関である議会は、彼らの面子のゆえに、見せしめのために使徒たちをむち打ち刑に処した。そして、今後イエスの名により語ってはならぬと言い渡し許して放免した。しかし、それに従うような弟子たちではなかった。「毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」(42節)とあるとおりだ。使徒たちに与えられた使命は、今日の教会の使命でもある。人々がその勢いに妬みを起こすほどに宣教の業に励んでいこうではないか。「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい」(第二テモテ4:2)。