礼拝190714

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2019年7月14日 三位一体第5主日礼拝 題:「真理の御霊」
聖書箇所:ヨハネによる福音書14章12~17節 説教:丸大勝牧師
私たちは、キリストと別れてしまう弟子たちの不安と恐れの様子を見てきた。彼らは最後の晩餐において、互いに心騒ぐ時を共有していた。そのような独特の雰囲気の中で、主がやさしい思いやりに溢れる慰めと励ましに満ちた言葉をお語りになられた。それは、三つの約束であった。①「キリスト者が行う業」(12)。主が十字架につき永遠の全人類に対する罪の贖いと救いの業を完成されて天にお帰りになられることによって、すべてが終わるのではなかった。続きがある。初代教会の記録である使徒行伝は、その証しでもある。弟子たちは、かつての弱い存在ではなく、一握りの人たちであったが、大勢のユダヤ人、異邦人を多数回心へと導いた。主は父なる神の右に座し、そこで聖霊を降し、とりなしの祈りをもって、弟子たちを宣教のために用いられたのである。②「祈りにより与えられるもの」(13,14)。イエスの御名による祈りは適えられるのである。父なる神に向かって祈る祈りは、主の名によって清められ、整えられて、届く祈りとなる。それは主のとりなしの効果でもある。「なんでもかなえてあげよう」とは、自分勝手なドラえもんの便利な四次元ポケットのようなものでない。それは、世俗的な繁栄を意味しない。人の魂の益するものなのだ。③「聖霊が送られること」(16,17)。これは、特別な賜物である。助け主、真理の御霊、弁護者なる人格あるお方が聖霊と呼ばれている。三位一体の第三位格の神である。キリスト者に真理を付与し、導き、清めてくださる。特に慰め、励まし、力づけ、孤独から解放されていつも神と共にいる安心が備えられるようになる。「世はこの方を見ることも、知ることもしないので、受け入れることができません」(17節 共同訳)とあるように、信じない人にとっては、この真理の御霊を体験することができない。聖霊は、信じる者を「新しい人」(第二コリント5:17)にしてくださる。そして、「世の光」「地の塩」(マタイ5:13-16)として用いてくださる。それは、信じる対象であられるお方が現実に生きて働いておられるからなのである。たとい私たちがどんなに弱くても足りなくても、そういう私たちを主は慮り、不足を補い、日々助けてくださる。それゆえに、信仰に生きるならば、不安、恐れ、怯えから自由になることができるのである。ハレルヤ