礼拝190728

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2019年7月28日 教会学校合同礼拝 題:「幻を見た人」

聖書箇所:使徒行伝10章36節 説教:丸大勝牧師

人の偏見は、厄介なものである。偏見とは、十分な根拠もなしに他人を悪く考えることである。この悪く考えることとは、嫌悪感を持ち、差別、誹謗中傷などをする意味である。使徒ペテロもあることにおいて偏見があった。それは、キリストの救いの福音がユダヤ人だけに与えられているものであると理解していたことである。つまり、異邦人に対する偏見があったのだ。異邦人のためにもキリストが来られたことを、素直に信じ認めることができなかった。それゆえに、ペテロの異邦人伝道のためには、特別な神の導きが必要であった。その記録が今日の聖書箇所である。彼はカイザリヤの近くヨッパに来ていた。そこで不思議な幻を見た。ユダヤ人が食べない汚れた動物の入った布が天から降り、神はそれを食べよ(異邦人を受け入れることを示そうとしていた)、と言われた。ペテロはそれが何を意味しているのか分からず、戸惑っていると、そこへ異邦人のコルネリオからの使者が来たのだ。ユダヤ人は、律法に定められているある動物は汚れているので食べないが(レビ記11章)、異邦人も汚れている者として付き合いをしなかった。パレスチナのユダヤ人は特にそうであった。しかし、この幻を見たペテロは、異邦人への偏見を捨てたのである。主は地の果てまで福音を宣べ伝えよ、と命じられたが、この偏見が除かれないで伝道はできない。私たちの教会も気をつけていないと互いにわかり合っている信者だけで仲良しグループになって外側に対して閉鎖的になると同じことになる。ペテロはコルネリオを受け入れ、福音を語った。37-41節は、その内容のまとめである。コルネリオの敬虔さは、目を見張るものがあった。彼はローマ歩兵部隊の百人隊長であった。どこかで真の神を知り、家族と共に神を畏れかしこみ、信仰生活をしていた。信仰深く、人に愛深く、善行に富んでいた。宗教的にも、道徳的にも立派な人物であった。そして、ここに至り、親族や親しい友人たちを集めてペテロの訪問を待っていた。ここに信仰姿勢が表れている。彼らの心はもはや準備されていた。何とペテロの説教が終わらぬうちに、「みんなの人たちに、聖霊がくだった」(44節)。渇いている者、心の準備ができている者に、神は分け隔てをすることなく、豊かに恵みを注いでくださったのである。アーメン