礼拝190804

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年8月4日 平和主日礼拝 題:「平和を備える」

聖書箇所:イザヤ書26章12~13節 説教:丸大勝牧師

昭和、平成、令和と元号が移り変わってきた。それぞれの時代によって子どもたちの喜ぶものが違っている。昭和の子どもは、波止場に大きな船が入ってくるのを見ることに興奮した。街頭テレビを取り囲み、力道山のプロレスに歓声をあげていた。今や現代の子どもたちは、ヘリコプターやジェット機にも無感動。スマホやインターネットによるメディアの目覚ましい進化にもそう驚くことはない。また、昔、多くの病気は絶望的であったが、今日、たんさんの不治の病と言われていた難病にも効果のある薬を生み出してきた。日進月歩、医療の進歩は目を見張るものがあろう。しかし、このようなあらゆる点において進んできたにもかかわらず、人間はまだ、人間の根本的な問題を解決していない。人間は最も高いビル、最も長い橋、最も高速のジェット機を造ることができるが、今なお、自分の内面、心の問題を制御することができないでいる。また他者とのかかわりにおいて仲良く平和に暮らすことができない。実は、聖書の神は秩序の神であり、平和の神である(第二コリント13:11)。それゆえに、この信仰に生きるということは平和を求めることを意味している。①「神との平和」(ローマ5:1)。聖書は、まず神との間の平和を得よ、と語っている。これが根本なのである。その平和がなければ、あとの平和は偽物になってしまう。②「人との平和」(マタイ5:9)。神との平和は、人と人との間にも平和を生み出す。これには、愛が必要となる。愛は感情ではなく意志である。努力と忍耐が求められる。それは、上からの助けによってもたらされるものである。「主よ、あなたはわれわれのために、平和を設けられる。あなたはわれわれのために、われわれのすべてのわざをなし遂げられた」(イザヤ26:12)とある。この26章は、「信頼と勝利の歌」と言われている。イザヤは北イスラエル王国がアッスリヤに滅ぼされた時、エルサレムを守った南ユダの預言者であった。彼の使命は背信の民ユダを神に立ち返らせ、メシアを通して与えられる神の救いを伝えることであった。それはやがて主イエスによって成就する。イスラエルの歴史を振り返っていくならば、神との関係が破壊されていた時は、無力であったが、悔い改めて神に戻った時に民としての平安と平和を得ることができた。