礼拝190901

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2019年9月1日 三位一体第12主日礼拝 題:「平安を残すイエス」
聖書箇所:ヨハネによる福音書14章27~31節 説教:丸大勝牧師
救い主は、全人類の罪からの贖いと救いの御業を成し遂げて昇天された。主が教会に与えられた固有の贈物は何であろうか。それが、主の持っておられる平安である。その平安は、①「主が十字架の死と復活により買い取られたもの」。生きることの恐れと死ぬことの恐れが人にはある。本質的、かつ根本的人間の深いところの問題(神との和解と平和)を解決された。②「この世が与えられないもの」。地上のみ有効ではなく。世俗のものではなく。色あせることなくいつまでも続くもの。永遠にまで至るもの。③「この平安は、欠けるものがないもの」。何かで補われなければならないことがない。完全な平安である。二つ目の主が残された良きものは、希望である。それは、28,29節で語られている再臨である。主が再びこの地上に来られて救いと審判を与えられる信仰は、初代教会の希望であった。それは、今日まで続いている。ある意味で教会は待ち疲れて霊的疲弊状態になっているのかもしれない。しかし、主の約束は変わらない。ある人の戦地での出来事である。連隊長が戦争中ずっと戦い続けていたにも拘わらず、何の報いも得られなかった兵士を招いて栄誉を称える食事会に招いた。食事の後、隊長が、「君は戦地でのことをあまり話さないね。君が経験した最も素晴らしいことを話しなさい」と促すと、彼は、「ある日、一人の変わった兵士と出会った。その人は一心に聖書を読んでいた。私は聖書が何の本であるのか知っていたが、自分にとっては何の価値も見出すことができなかった。しかし、彼は、『私の読んでいる箇所を聞いてごらん。あなたがたは心を騒がせないがよい。・・』と最後まで読んだ。「ああ、私もそのところは何回も読みましたよ。しかし、何もいいことはなかった。そんなもの捨ててしまいなさいよ」と言った。『もし、君が私にとって聖書が何であるのか知っていたら、そんなことは言わないよ』と。彼の顔は輝いていた。その顔をそれまで一度も見たことがなかった。数日後、身近なところに爆弾が落ちた。若い兵士のことが心配になり見に行くと彼は致命傷を負っていた。彼は胸のポケットから聖書を取り出してそれを掲げた。私はその時の兵士の顔が忘れられない。そして、最も素晴らしいことは、彼の救い主が私のものとなったことです」と。