礼拝191006

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2019年10月6日 世界聖餐日礼拝 題:「価値観の転換」

聖書箇所:コリント人への第1の手紙11章17~22節

説教:丸大勝牧師

コリント書は、使徒パウロがAD56年か57年頃、エペソから書き送った書簡である。コリントは、ローマ帝国の第一州アカヤの首都であり、エペソ、アンテオケに並んで当時の商業の一大中心地であった。人口60万人を有し、人々は贅沢を窮め、罪悪が横行し、偶像の女神信仰は全体に浸透し神殿娼婦は一千人いたと言われている。このような町にパウロは約2年ほど滞在して伝道し活気ある教会が建設された。しかしながら、この教会に内部問題があった(四分派、淫蕩な異教の影響、信者間の紛争)。初代教会の勢いのあった時代も今日と変わらず諸問題があったことは興味深い。また、教会に問題があるのが悪いのではなく、それを如何に教会が解決していくのかが重要であることを思わされる。それは、教会の霊的な成長を意味している(3:1-7,11)。信者が信仰的に熟成していなければ、コリント教会で起こっていた問題は根本的に解決することはない。愛餐問題もその一つである。当時、コリント教会では愛餐と言って、各自食事を教会に持ってきて食事を共にする風習があった。だが、教会内に分争があり一つ場所に集まって愛餐する時にも、富んでいる者と貧しい者とは食を異にして、富んでいる者は贅沢な食事を飽き足りるほど食べながら、貧しい者たちは置き去りにされていたのだ。これは偶像礼拝の神殿で異教徒が行っていた酒宴の模倣であった。「あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである」(17節)とは、このことである。この故に、真の晩餐を教会が守ることができなかった。パウロは、これらの問題について「ほめるわけにはいかない」(17節)と指摘している。この言葉は、1節の言葉と対比されるべきものである。「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者となりなさい」。主はかつて渡される夜、聖餐式を制定された(23-29節)。それは、信者が心して守るべき尊い聖礼典である。すべての信者の救いの根拠である十字架の事実。その上で裂かれた主の御肉と流された血潮を覚え、如何に主が私たちを愛し、救いと贖いの御業を成し遂げてくださったのか、を覚え真剣な態度と姿勢で、聖餐式に与るのである。それは、難しいことではない。なぜかならば価値観が転換しているからだ。