礼拝191103

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2019年11月3日 召天者記念礼拝 題:「全くぬぐわれる涙」
聖書箇所:ヨハネの黙示録21章1~4節 説教:丸大勝牧師
人の人生にとって死別体験は誰にでもある。まだ家族や友人とのお別れをしたことがない方がおられるとするならば、必ずこれから体験されることだろう。故郷の我が家は家族五人であったが、長兄、父母と死別している。死は実は身近な出来事なのである。私たちはいつ死んでもよいように備えておくべきである。人は死んでしまえばそれでおしまいなのではない。さて、創造主なる神を信じ、信者として生きてきた人の「終の棲家(ついのすみか)」はどこであったのだろう。これは通常最期を迎える時まで生活する住まいのことであるが、何か意味合いとして死のためにただ待つようで寂しく切ない場所のように聞こえる。しかし、私たちは、感謝すべきことに、すでに召された天国に迎えられた人たちと同じ希望をもって生を全うすることができる。正確に言うならば、キリストにあって地上の人生を終えた方々は、「パラダイス」におられる。これは、黙示録21:1-4に記されている新天新地(神の国)に行くための待合所のようなものである。事例として、ルカ16:19-31に記されているラザロが死んでから送られた場所のことである。創造者なる父なる神は場当たり的に事を進めておられるお方ではなく、人類に対して深いご計画をもって救いの歴史のご経綸により導かれておられる。やがて終末時代になりキリストの再臨の後に最後の審判がなされて、天地創造の時代以来続いていたこの世界は終わりを迎える。つまり地球がなくなるのである。だが、聖書はその続きがあることを告げている。それがこの聖書箇所なのである。黙示録の記者ヨハネは、「新しい天と新しい地を見た」と言っている。かつての天と地は消えて、海もなくなってしまう。また、「新しいエルサレム」が、キリストの花嫁として姿を現す。神の民はこの都に住む。これはイエスが弟子たちに場所を用意していくと言われた約束の成就となる(ヨハネ14:2)。ここには、神殿はない。神ご自身がおられるからである。「神人と共にいます」幸いである。「先のものが、すでに過ぎ去ってしまった」神の国にないものがある。①涙 ②死 ③悲しみ ④叫び ⑤痛み これは、私たちの想像を絶する新しい世界の到来を意味している。私たちの体験や知識の延長線にあるようなものとは異なる。さあ、私たちも備えてそこに入ろう。