礼拝191110

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2019年11月10日 三位一体第22主日礼拝
題:「真理の御霊が来る時」
聖書箇所:ヨハネによる福音書15章22~27節 説教:丸大勝牧師
主イエスは、地上の最後を見据えながら要所要所に聖霊について語られている。主役が変わろうとしているのである。舞台はイエスの幕を完了し、聖霊に移っていく。世界宣教の聖霊であり、教会の導き手である聖霊。決定的で絶対不可欠の働きに、主は弟子たちの目を向けられたのである。それが、この26節、27節である。主によって父なる神から遣わされる聖霊は、神の霊、助け主、弁護者、真理の御霊である。口語訳では、26節で「それは」と訳されているが、これはふさわしくない。新改訳も共同訳も、「その方」とご人格ある存在として表現されている。まさに、聖霊は「お方さま」なのである。すなわち、交わりの神として存在される三位一体の神の第三位格のお方なのである。では、聖霊は、何のために来られるのであろうか。15章の文脈から見ると、この世はキリストと弟子たちを憎み敵対する。この世はゆえなく教会を迫害するのである。そこで、主はその背景から、三つのことを語られた。①「迫害を耐え忍ぶための力を与えられる」。主は、18-25節のこの世の現実を示して、迫害に忍耐するための上よりの力を与えられるのである。黙示録3:10-11のヒラデルヒヤに語られた御言葉と重なるのではないか。彼らが守ったのは、「わたしの言葉をあなたが守った」と主が言われたように、キリストの言葉を保持したのである。それは、「あなたの冠がだれにも奪われないように」とあるように、永遠のいのちの信仰であり、キリスト信仰である。②「迫害の中で主を証しする力を与えられる」。「真理の御霊が下る時、その方はわたしについてあかしをする」とある。主の証しは、主との親密な関係があって生み出されるものである。「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから」とあるとおり、彼と生活し、彼と交わり、彼と語り合う中で、個人的に体験したことが他者に証しされていくのである。③「この世の暗黒に主の光を照らすための力を与えられる」。「わたしは世の光である。」(ヨハネ8:12)と言われるキリストは、信じる者にも光を照らされる。「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と宣言しておられる。私たちが勝手に光になるのではなく、彼が光を照らしてくださるのだ。まさに反射体として信者はキリストから受けた光を照り返すのである。聖霊に感謝!!