礼拝191124

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2019年11月24日 三位一体第24主日礼拝
聖書箇所:エレミヤ書1章4~12節 説教者:丸大勝牧師
人生の重荷は自分だけが背負っているのではない。力強くその使命に生きていった預言者たちや使徒たちも同じある。彼らは厳しい環境に身を置きながら、信仰の戦いを貫いていったのである。エレミヤもその一人である。彼は、BC626年に南ユダにおいて預言者の務めに召された。祭司の家系に生まれ、ヨシヤ王の治世の第13年に多分20歳くらいで神の働きに着手したのであろうと思われる。当時、国際情勢は世界制覇を目指しアッスリヤ、バビロン、エジプトの三つ巴で争っていた。北イスラエルはアッスリヤに滅ぼされてしまい、その毒牙は南ユダにまで及ぶが、ただエルサレムのみ残った。だがアッスリヤは衰退し覇権国家として一時代を世界支配したのは、バビロンであった。エレミヤはユダの人々にバビロンの制覇を主張し続けていた。①ユダはバビロンに滅ぼされること。②ユダが悪から離れるならば、神はバビロンからユダを守られること。③ユダに悔い改めの可能性が尽きた時、ユダがバビロンに従うなら滅びだけは免れること。④ユダは結局滅びる(エルサレムは火で焼かれ民は捕囚となる)が、やがて回復されて(70年後解放される)世界に君臨すること。⑤ユダを滅ぼしたバビロンは自ら滅び再び立つことはないこと。彼はユダに対して耳障りの良い預言をしなかった。ユダの滅びを語るエレミヤを人々は偽預言者のレッテルを貼り彼を拒否し受け入れることはなかった。そのことで悲しみの預言者と呼ばれている。よくも神はこのようなたいへんな大仕事をエレミヤに託されたものだと考えるのは私だけではなかろう。さて、エレミヤが預言者として神に召されたことの中に今日生きる私たちに対するメッセージがある。神が最初に語られた言葉が興味深い。「まだ母の胎につくられないさきに、あなたを知り」(5節)とある。人間はどこから来てどこに行くのだろうかと考えながら生きている。この問いに聖書の神は答えを与えている。何と神は創造者として人間が生まれる前にその人を知っていると言われる。神は私たちの過去と現在と将来を知り尽くしておられるお方である(29:11)。しかも、それには神の計画があり、将来に亘り平安と希望があると言うのである。そして、5節にあるように生きる目的を与えられる。神はエレミヤと共に働きそれを実行されたのだ。