礼拝191201

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2019年12月1日 待降節第1主日礼拝 題:「系図を読む」
聖書箇所:マタイによる福音書1章17~21節 説教者:丸大勝牧師
明治時代にある人が初めて聖書を手に取り読んだ。マタイによる福音書から読み始めるのだが、「だれそれが・・・を生み」の繰り返しの無味乾燥な系図である。倦み疲れて寝てしまったそうである。しかし、ユダヤ人にとってはこれが普通である。彼らが系譜に対して関心を持つのは、血の純潔を保とうとするからである。①「アブラハムからダビデ」 (2-6) イスラエル最大の王が出るまで。②「バビロン捕囚まで」(7-11)国の屈辱、悲劇、滅亡まで。 ③「イエス・キリストまで」(12-16) 人類を束縛から解放し滅亡から救い勝利に変えられる。このマタイによる福音書は、系図を記すことによって、ユダヤ人にイエスがキリストであることを宣べ伝えるために書かれたものである。ユダヤ人には、救い主はダビデの子孫から生まれるという預言があったので、イエスが神の子であることを由緒正しく示さなければならなかったのだ。この系図は、イエスがダビデにつながり、またイスラエルの信仰の父アブラハムにもつながっていることを証明している。さて、この系図の不思議なところは、女性の名前が四人出てくることである。①タマル(創38:18) 不倫の女。②ラハブ(ヨシュア6:25)娼婦。③ルツ(ルツ記全体)異邦人。④バテシバ(サム下11:4)姦淫の女。それぞれに問題があった女たちが系図に含められているのだ。そもそも聖書の世界では女性の名前は系図に入らない。しかもユダヤ人の純潔を守ろうとするところから考えると信じられないことである。これは、取税人であったマタイが自分のことも重ねながら、神の福音を伝えようとしているのである。キリストは罪ある者、数に入れられない者も、すべて救いの数の中に入れられるようになったことを示しているのだ。マタイはユダヤ人から売国奴と罵られていた。取税人として同胞から金を巻き上げて私服を肥やしていたような罪深い人生を送っていたのである。その汚名の中で滅んでしまわなければならない者も、キリストは救ってくださることを証している。実は、私たち日本人もこのキリストの系図に組み込まれていることを受けとめておきたい。私たちは、この系図の中に入れられている限りにおいて、創造者に対して大きな責任と光栄をいただいていることを覚えたい。「自分のからだをもって神の栄光を顕せ」と言われている。