礼拝191208

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2019年12月8日 待降節第2主日礼拝 題:「御言葉を待ち望む」
聖書箇所:ルカによる福音書1章26~38節 説教者:丸大勝牧師
ルカによる福音書を記録したルカは唯一の異邦人著者となった。彼は、教養が高く、科学的教育を受けて、ヘブル語とギリシャ語に精通していた。彼は、キリストの弟子たちや母マリヤから直接キリストのことを聞き物事を正確に書き記した(AD60年頃)。ルカは当時のローマ人の役人テオピロと接触する機会を経てキリストの福音をここで伝えたのである。二年後、ルカが使徒行伝を書き同一人物に書き送った際には、敬称を省略しており、ただテオピロとだけ記し書き始めている。彼はすでに信者となりルカと親しい関係の友人となっていたかもしれない。さて、今朝の個所は、マリヤの受胎告知の出来事が紹介されている。これはルカがエルサレムのヨハネの家にいたであろうマリヤから直々に聞き取った事実である。ただ一人イエス・キリストの誕生から死と復活、昇天を見届けた母マリヤだけが語ることのできる内容であった。ルカがどのような思いでこれを書いたのかその躍動と感動が伝わってくる記録文書になっている。さあ、神の業は超自然的ではあるが、人間を無視して行われる一方的に業ではない。神はご自身のご計画を実現されるためにマリヤを通して、救い主をこの世に遣わそうとされたのである。「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」(28節)と御使ガブリエルから言われた時、彼女はひどく戸惑った(29節)。祝福を受けて困惑するとは不思議なことであるが、マリヤの立場に立てば理解もできる。これまで貞節な女性として生きてきたし、今は婚約者までいるのに、受胎の事実が徐々に明らかになれば、事態はどのようになるのか、不安もあったに違いない。しかし、神はマリヤによってキリストをこの世に与えられることを粛々と進めておられた。私たち信者は、神の御業が行われるようにと願うことがある。ところが、この私がその任に当たるようにされると、尻込みしてしまうのではなかろうか。しかし、マリヤは突然の告知にもかかわらず、ついに自分を神の御手に委ねたのである。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」(38節)と。神が語られた約束の言葉の成就することを待ち望む人となったのである。私たちも神の御業がなされることを願うならば、自分がその器となることを決心すべきである。