礼拝191229

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2019年12月29日 年末感謝礼拝 題:「私たちの礼拝」
聖書箇所:ヨハネによる福音書4章1~26節 説教:丸大勝牧師
年の終わりに主に心から感謝をもって礼拝しよう。ここに真の礼拝をしたことがなかった女が登場する。彼女は、サマリヤ人であった。ユダヤ人と異邦人の混血民族である。長年に亘り血統の純粋性を守るユダヤ人から軽蔑され差別されていた。しかし、主イエスはこの一人の女を救うために、ユダヤからガリラヤに戻られる途中、通常の通路であるヨルダン川の谷間を経ずして、「サマリヤを通過しなければならなかった」(4節)のである。福音(Good News)は、民族的、地理的な枠を越えていくものである。さて、イエスのこの女に対する個人伝道は興味深い(7-14節)。反抗的な女を知恵のある対話により福音の恵みに招き入れた。主は彼女に決して渇くことのない永遠のいのちの泉を持つ者として導いたのである。この女は家庭的に不幸な過去があり、不倫の罪の中にも身を置いていた(16-18節)。かといって全く信仰に対して無関心ではなく、サマリヤでの伝統的宗教には生きていたようである(20節)。だがその宗教は彼女を幸福にはしていなかった。そこで主は女のすべての問題の解決のために語ったのである。真の礼拝をしたことがない者が、真の礼拝をすることができるように、今それがはじまっていると告げられたのだ(21-24節)。ある意味で名もない罪の女によくぞ礼拝という崇高なお話をしたものだと思うが、それが「恵み」というものであろう。真の礼拝者にとって、①礼拝をするには特定の場所が聖なる所であるということを否定された。神はどこにでもおられ、どんな場所においても主とお会いすることができる(21節)。②救い主はユダヤ人から来る。彼女と会話しているイエスこそそれである(22節)。③礼拝する者は、過去現在をひっさげて神の前にひれ伏すことが許されている。失敗、罪過、恥などをすべて神の前に持ち出して赦し清めていただいて礼拝するのである(16節)。④全存在を傾けて礼拝する(申命記6:4,5)。礼拝者は、魂のすべてをもっていのちを尽くして拝するのである。サマリヤの女は主イエスと出会い変えられた。人の目を憚りわざわざ人のいない時間に水を汲みにきたような日陰の存在であったのだが、水がめをその場に置き、何と町に行き町中にイエスのことを宣伝して歩いた。その結果、多くの人々が主の元に来たのである。ハレルヤ。