礼拝200105

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2020年1月5日 新年主日礼拝 題:「真の友人」
聖書箇所:マルコによる福音書2章1~12節 説教:丸大勝牧師
「一年の計は元旦にあり」と、言われているが、新年に当たりどのような一年間のための計画をお立てになられたであろうか。2020年、限りあるいのち、どのような歩みをするのが信仰者としての人生にとって重要なのであろうか。今朝の御言葉に傾聴したい。この箇所は、「中風の人の癒し」の出来事が記されている。おそらくカペナウムのペテロの家であったのだろう。群衆を収容できるほどに大きく、四角い庭を囲んで建てられている家で、家には外階段があった。その日、大勢の人々がイエスの御言葉に耳を傾けるために参集していた。立錐の余地もなかった。そのような集いの最中、四人の者が寝たきりの中風患者を群衆で押し合っている戸口から運び込むことができなかったので、何とその家の屋根をはぎ、穴をあけて、患者を床のままイエスがおられる所につり下ろしたのである。彼らは患者の友人であったのではなかろうか。なぜならば、彼らは中風の患者を愛していたのだ。その病のゆえに如何に彼が悩み苦しみ大変な人生を過ごさなければならなかったのかを、よく理解し、同情していたことであろう。四人の友人たちは、何としても彼をイエスの元に連れて行きたかった。そして、その決心を主は喜ばれた。普通ならば自分たちの出る幕ではないと考え、あきらめて帰るところである。しかし、彼らには友を愛する思いと求め続ける信仰があった。どんな障害があってもキリストの元に連れていくまでは絶対にあきらめない信仰があった。確かに彼らの行為は常識破りであったが、真の友人たちはそれを越えて大切な友をイエスの御元に連れて行ったのである。その時、5節にあるように「イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に『子よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた」のである。この主の御言葉に戸惑いを覚える方もおられるかもしれない。友人たちが願ったのは、中風の病の癒しであった。ところが、主は罪の赦しの宣言をしたのだ。その理由は、人間にとって真に大事なことは、罪の赦しである。だが目に見えるものを求める私たちには、目に見えない罪の必要性は気づかないので、誰にでもわかる奇跡によってご自身の権威を示そうとされたのである。難しい癒しをなさるお方は、人の罪も赦し救ってくださるのである。私たちはこの出来事により、四人の友人の求め続ける信仰と友への愛を教えられる。