礼拝200510

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2020年5月10日 母の日主日礼拝 題:「内から出るもの」
聖書箇所:マルコによる福音書7章14~23節 説教:丸大勝牧師
 「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴、これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」(マルコ7:20-22)とは、主イエスが語られた言葉である。この聖書の言葉と母の日に何の関係があるのだろうか。実は大いに関係あるのだ。母の日の主役、それぞれのお母さんにも真理を知ってほしい。随分以前のことであるが、母教会の故伊藤栄一名誉牧師から広島呉のクリスチャンドクター藤井圭子氏のことをある集会で紹介していただいたことがあった。この方は二人の子どもさんのお母さんで、広島大学医学科に在学中に、宗教的渇きを覚え仏教大学の通信教育で学ばれ、医師になって二年半後、全身全霊で仏教修行に打ち込もうと決心され、京都の知恩院の尼僧道場の門をたたいた。そこで仏教大学の専攻科の勉強を続け、日常的には誠心誠意、戒律を守り修行に励み、一人前の僧侶になるために努力していた。しかし、後に尼僧道場の舎監教師になり人を教える立場になるのだが、仏教を学べば学ぶほど絶対的真理ではないという結論に達してしまい尼僧を辞めて広島に戻ることになった。そして、入局、訓練を受け元の小児科医となり、また結婚。二人の子どもにも恵まれた。真理の探究に挫折したものの人並みの幸せを得ることができたようであった。そんなある年、近隣にキリスト教会が建てられたことを機に英語会話を兼ねて教会の集会に参加するようになった。その一年後のことである。ある事件が起こり夫婦関係にひびが入り悩むようになり一時離婚をも考えるようになったが、その解決は本物ではないことを聖書から教えられ思いとどまった。藤井氏は、内側にある偽善の罪に苦しんでいた。だがその悩みのどん底が来た。その時に教会の特別集会が開かれて、先の伊藤先生が講師として招かれ福音を語られたのである。一日目は傍観者のように聞いていたが、二日目の夜、伊藤先生は神を信じる平安について証された。「私もその平安が欲しい。イエスさまを信じたい」と魂の底から揺さぶられる体験をされた。あれこれと逡巡したが、ついに決心して挙手をし、講師と牧師に祈っていただき、また自らも真剣な信仰告白の祈りをささげた。その翌日である。神が前日の祈りに答えられたことを知る。藤井氏は全く救われていたのである。もはや夫に対する偽善的思いは消えていた。そこにあったのは、温かで柔らかな平安そのものであった。まるで心とからだがすっぽり包まれている感覚を経験したのである。彼女は、内側から沸々と湧き上がる原罪の問題に解決が与えられた時、妻として母として生まれ変わった。そして、受洗後、周辺の人々が同じ信仰に導かれた。娘、母、家族、親族、友人、知人と。14歳から30歳まで真理とは何か。命とは何か、と尼僧にまでなって探し続けていた求道の士は、イエス・キリストに答えを見つけることができたのである。今日、母の日の喜びと楽しみと共に、神でなければ与えることができない内側の罪の問題解決を体験しようではないか。キリストが私たちを救ってくださるのである。さあ、ここに人生の癒しがある。救いがある。