礼拝200531

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2020年5月31日 ペンテコステ礼拝 題:「信仰の働き」
聖書箇所:マルコによる福音書10章46~52節 説教:丸大勝牧師
今朝は、約束の聖霊が地上に降臨された記念日礼拝である。ペンテコステとは、ギリシャ語で50日という意味である。この出来事のゆえにキリスト教会は誕生するに至る。さて、今回は違ったアプローチで主の御言葉に傾聴したい。盲人バルテマイに起こった変革に注目しよう。この箇所は共観福音書にあり、マタイ20:29-34,ルカ18:35-43にも記録されている。面白いのは、マタイは二人の盲人と言い、ルカとマルコは一人の盲人だけをあげている。ルカはイエスがエリコに入ろうとしていたと言い、マタイとマルコは町を出たと言う。一人は町に入る時に、一人は町を出る時癒されたのかもしれない。前者は、もしかしたら主がザアカイを救われる前、町の入口に行き、その道端に座っていたのかもしれない。リベラルな神学者は、この奇蹟を伝説的物語と言うが、全体にあふれている生き生きとした報告は、目撃者の証言にもとづいているものであることを確信させる。さあ、この記事は、主の十字架を見据えたエルサレム行の途中、旅の間に起こった。エリコからエルサレムまで後、24キロであった。いよいよ旅を進める時が来た。主は弟子たちと群衆と共に出発した。ところが、道端に盲人の物乞いバルテマイがおり、主が通られることを知り、当時、メシヤを指す称号「ダビデの子イエスよ」(47,48節)と叫び続けた。同行者の多くの者たちは、彼を黙らせようとするが、それでもやめない。ところが、主は憐れみを求める者を呼び寄せられた。「彼を呼べ」(49節)と。弟子たちと伴う者たちは、この主のお心に触れて思わず叫んだ。「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。そこで彼は上着を脱ぎ捨て踊りあがって主の元に来た。主は実に憐れみ深いお方であり、仕える僕であられた。「わたしに何をしてほしいのか」とは、何もかも知り尽くしておられる主が、男に主に対する信頼をはっきりさせるためであった。「先生、見えるようになることです」と求めを明言する。その瞬間、男に信仰が働いた。主は厳かに言われた。「行け、あなたの信仰があなたを救ったのだ」(52節)と。するとたちまち目が見えるようになったのである。ここからバルテマイの主に従う人生が始まった。彼はこれから十字架を知る者、挫折、敗北を知る者。そして、そこから立ち上がるために聖霊を受けるのだ。