礼拝200607

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2020年6月7日 三位一体第1主日礼拝 題:「祈りの家」
聖書箇所:マルコによる福音書11章15~19節 説教:丸大勝牧師
今回は、神の家について学びたい。ユダヤ人にとって、神殿といえばソロモンの神殿(第一神殿、信仰と真心によるもの)、ゼルバベルの神殿(第二神殿、悲しみと恥と苦悩からの復興と回復によるもの)、そして、ヘロデの神殿(エドム人出身ヘロデ大王がユダヤ人を意識して政治的野心を動機に84年間を要して完成させたもの)である。私たちも神の家を建てようとしているが、神の御心に適う新会堂とはどういうものなのであろうか。さて、主はエリコからエルサレムに移動された。それは、ご自身の十字架を見据えた弟子たちとの旅となった。日曜日、ろばの子に乗りエルサレム入城を果たされたイエスは、一度ベタニヤに出て一泊して月曜日に再びエルサレムに入られ、神殿の宮きよめをされた。15節に宮とあるが、これは「異邦人の庭」(ヘロデの神殿に設けられた外庭のこと。異邦人はこれより奥には入れなかった)のことである。そこでは二種類の商売がなされていて、一つは、犠牲として捧げるための動物(鳩)などを売る者たちがいた。捧げられる供え物の検査は厳しく、傷があってはならず、宮のアンナスの売店で売られていた。これは大祭司アンナスの家族が経営している店で、悪質な利益の温床となっていた。聖なる名を用いて人々を搾取して私服を肥やしていたのだ。二つが、過越祭の巡礼者対象の両替である。外国から帰ってきた者はローマ貨幣を両替し、宮に税金を納めなければならなかった。祭司と結びついて両替人は、両替の際の手数料をとって巨万の額の富を得ていたのである。主はそれらをごらんになり、正義の怒りをもって宮きよめをされたのである。当時の人々の信仰は形骸化し全く敬虔な態度を失っていたようだ。荷物搬送のため近道をするのに宮の庭を通っていたともある(16節)。何たる態度であろうか。主は、イザヤ書56:7を引用して言われた。①「神の宮は祈りの家であること」 どのように宗教的儀式がなされていたとしても、信仰と真心がなければ無意味である。②「すべての国民の祈りの家であること」 平行記事であるマタイとルカは、「すべての国民」という言葉を使っていない。異邦人の庭では、商売人たちが、異邦人たちが神を礼拝することを妨げていた。入舟は、万民のための礼拝の命を新会堂で保持しようではないか。