礼拝200920

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 2020年9月20日 敬老の日主日礼拝 題:「光がある人生」
聖書箇所:ゼカリヤ書14章6、7節 説教:丸大勝牧師
敬老の日礼拝のために祝福のメッセージをお伝えしたい。BC539年ペルシャのクロス王は、バビロン捕囚の民イスラエルを解放し、故国への帰還命令を出した。この時、約42,000人が帰国した。彼らは、帰国後神殿再建に着手したが、ユダの残留民やサマリヤ人たちの妨害により工事は挫折してしまった。彼は、二か月先に預言者の活動を始めたハガイと共に、神殿再建工事のために民を励まし続けた。特にゼカリヤは、イスラエルの将来の栄光とメシヤの来臨を預言している。1-6章「8つの幻」 7-8章「断食と祝祭について民の質問と答え」 9-11章「メシヤの初臨」 12-14章「メシヤの再臨」 全体のメッセージの要約は、「主は、神の民のことを覚えておられ、ご自分の時が来たならば、主は必ず神の民を祝福される」ということである。あの時代のユダヤ人たちは、主の来臨について初臨と再臨を区別することができなかったと思われるが、今日私たちにとっては、初臨のクリスマスはもはや過去の歴史となっている。今朝の箇所は、これから起こる再臨の預言である。1節の「主の日」とは、再臨と審判の日のことだ。千年王国前の患難時代の最後に起こりうる地上再臨の時を意味していると思われる。ユダヤ人の歴史は、苦難に満ちている。イスラエルは貧しい国であり、たえず外国の侵略を受けた地である。エジプト、アッスリア、バビロン、ギリシャなど、彼らはいつも外敵に脅かされていた。アマレク、モアブ、アンモン人などの略奪も度々経験してひどい目に遭ってきた。そういう暗さの中で生きなければならなかったのだが、むしろそういう中で一条の希望、暁の光を待ち望んできた民族でもあった。それは、メシヤの来臨の希望である。彼らは、2000年以上、ナザレのイエスに敵対してきたが、やがて選民イスラエルとして救われる時が来る。ユダヤ人は、イエス・キリストこそこれまで自分たちが探し求めていた救い主であることがわかる。再臨のその日その時、新イスラエル(教会)とユダヤ人は、驚くべき神の栄光を拝する。「その日には、・・昼もなく、夜もなく、夕暮れになっても、光があるからである」とあるように、キリストの栄光の光が輝くのである。主はすべての人を照らす世の光として来られた。今生きている私たちにとってもこの光が大いなる希望なのだ。