礼拝201115

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 2020年11月15日 三位一体第24主日礼拝
題:「第5と第6のラッパ」
聖書箇所:ヨハネの黙示録9章1~12節 説教:丸大勝牧師
まず神の救いの経綸と終末座標軸を確認しておこう。別紙の通りである。教会携挙が起こり教会は天に携え挙げられ、いよいよ患難時代となる。黙示録6章からそのことが記されているが、7章の幕間を経て、先週は、8章の第7の封印が解かれて7つのラッパの裁きのうち第1から第4までを学んだ。今日は、その続きであり第5と第6のラッパの裁きである。私たちがこれまで確認してきたことは、患難時代という恐ろしい言葉の響きがあるにも拘わらず、そこで示されたことは、その最中であっても、なおも人類の悔い改めと救いを願って待っておられる神の愛を見た。これまで自然界での災いであったが、今回は人類に対する直接的な災いになる。1-12「第5のラッパ、いなごの災い」、ここに悪魔と悪霊どもが登場する。これに関しては両極端があり、全く存在を否定する人と何でもかんでも悪魔の所為にする人がいる。しかし、人格的悪魔の存在を否定してしまうと聖書の教理そのものが成立しなくなる。考えものである。聖書をよく読むことである。一つの星とは、堕天使悪魔のことである。底知れぬ穴を開く鍵が与えられ、そこに巣くっている悪霊どもを解放する。ここでのいなごは、昆虫のことではなく悪霊のことだ。8つの特徴に注目したい。13-19「第6のラッパ、不思議な騎兵隊の災い」、つながれている四人の御使とは、悪霊のこと。裁きを実行する。20-21「悔い改めない人々」。聖書は人間の恐怖心を煽り脅しているのであろうか。否、①悪魔の働きは人間にとっては、確かに震え上がる裁きであるが、それは神の許可される範囲での業である。②神はどこまでも心を頑なにし続ける人間に愛のショック療法のごとく悪魔の攻撃を許しておられる。③「額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された」(4節)とあるが、逆に額に神の印を受けた者は害を受けないのである。これは、キリストを救い主として信じている信仰の証を意味している。患難時代においても、もしその人が神に対する罪を認めて悔い改めて救い主を信じるならば神の印を受けるのである。繰り返すが、黙示録は神の愛のメッセージなのである。現在、信じない者が信じる者となるように神は忍耐して待っておられる。そして、患難時代でも救われるチャンスはあるのだ。