礼拝201122

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 2020年11月22日 新会堂建築定礎礼拝
題:「キリストの上に立つ」
聖書箇所:コリント人への第1の手紙3章10~17節
説教:丸大勝牧師
私たちは、当教会にとって記念すべき日を迎えた。新会堂・牧師館建築定礎式を執行する。この日から全ての建築工程が進められていく。祝福された建築になるようにまず神の御言を求めたい。故小林鴿子姉の義弟小林良雄牧師は、諏訪基督伝道館の開拓者であられた。1979年、諏訪に新会堂が不思議な導きによって完成した。小林師は、その初めての礼拝で涙ながらに、「これからの課題は、如何に神の御心に適う礼拝を捧げるか否かにかかっている」と言われたと聞く。この言葉に礼拝堂の建てられる意味がこめられている。会堂は神を礼拝する主な目的のために建てられるのである。そこで御言が宣べ伝えられ、聖礼典が執行され、教会の共同体として聖徒の交わりにより、徳が高められ、活けるキリストの栄光と勝利を内外に証するために存在する。私たちは、そのような礼拝堂を建設しようとしているのである。教会(エクレーシア)は、建物ではなく信者の群れであるとよく言われる。この世から神によって呼び出され召された者たちなのだ。教会とは人である。信者が礼拝堂においてそこでいのち豊かな霊的な営みを成すところに意義があるのだ。建物がただ立派であっても無意味である。さて、パウロはコリント教会の宣教と教会形成のために、重要なことを語っている。①教会の土台はキリストであること(11節)。パウロも他の伝道者も土台にはなれない。それらは神の器である。②信者はその上に建てられている(16,17節)。信者は教会で礼拝を捧げる(ローマ12:1,2)。これは献身を意味する。我が身を本当に神に捧げる時、神の御心がわかる。そして、教会と個人に与えられた賜物の用い方が理解できるようになる(ローマ12:3-5,6-18)。コリント教会には分裂分派があったが、そこから成長するようになった。③信者はキリストに属する(23節)。ある意味でキリスト教史は、苦難の連続であった。しかし、神の教会は滅びることはなかった。それは、主が教会の土台であり主人であったからだ。マルコ4:35-41のガリラヤ湖での出来事は象徴的である。突然の嵐との遭遇により弟子たちの舟は沈没の危機にあったが、そこにはイエスがおられた。恐れ惑う弟子たちを憐れまれた主はそこで奇蹟をもって嵐を鎮められた。彼らは主と共にいたのである。