礼拝R30404

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 2021年4月4日 イースター礼拝 題:「よみがえりであり、命」
聖書箇所:ヨハネによる福音書11章17~27節 説教:丸大勝牧師
 「イースターおめでとうございます。」と呼びかけると、「ありがとうございます。」と答えられる人がいるとするならば、それは、その人がキリストの復活の出来事を自分の救いのためであったと信じていることの証である。ウインドショッピングをするだけでは、こういう受け取り方はできない。その品物を自分のものとするためには、まず買う物を特定する。次に買うことを決心する。さらにその代金を払い、その品物を受け取ることである。外側から見ているだけでは何も起こってこない。私たちが真に神を信じる信仰に生きるためには、同じようなプロセスを経なければならない。①真理を知ること。②神の救いを求めること。③信仰によって救いを受け取ること。この三つの原則は、いつの時代も、どこの国でも、どこの民族でも全てに適用されるものである。①真理とは何か、と問うことから真理とは誰か、と問うこと。キリストは真理である(ヨハネ14:6)。真理は、自由を得させる(ヨハネ8:32)。生、病、罪、死の問題に対して根本的解決を与える真理は聖書に明示されている。②自分にないものを真剣に求める。代替がきかない価値を認める。霊的に渇く者だけがその必要を求め飲むことができる(黙示録3:17,18)。③難行苦行、修行、倫理道徳実践的努力、お布施などの人間の業により受け取ることができるのではない。ただ自分の心で決めて信仰により受け取る。もはやそれは誰かの借りものではなく自分の人生に神の救いの命が流れ始めるのだ。今朝の箇所は、主イエスが生前、愛する者を失って悲しみに沈んでいたマリタとマリヤの姉妹に語られた言葉である。この力強い宣言は、「人は死ねば、また生きるでしょうか」という人間の奥底にある問いに対して答えを与えている。ここで彼女たちの弟ラザロは死んで四日も経っていたが、主の権威によってよみがえらされる。これは、やがてキリストの復活の預言的出来事となった。この主の復活こそ、人間の永遠の救いと希望の基なのである。この基に立つ者にとって、「人生は死で終わるもの」ではない。死は永遠の光の入口である。主イエスは十字架の死と復活によりその道を開かれたのである。私たちは、御国の希望を確認したい。まだその確認がない方々は、ぜひこの機会に真理であるイエスを信じて救いを得て頂きたい。