礼拝R30411

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 2021年4月11日 復活節第2主日礼拝 題:「時が満ちる時」
聖書箇所:ガラテヤ人への手紙4章1~7節 説教:丸大勝牧師
神は全人類の罪からの救いのために、独り子イエス・キリストをこの世にお遣わしになられた。パウロはそのことを「時の満ちるに及んで」(4節)と表現している。新改訳では、「定めの時が来たので」とある。何世紀もの間、ユダヤ人はメシヤ待望してきたが、なかなか救い主は現れなかった。しかし、神のタイミング(判断・選択)は、間違うことはなかった。神のご計画は歴史に完全に成就したのである。今朝は、あまり扱われることのない「旧約と新約の中間時代」について学びたい。マラキ書からバプテスマのヨハネが登場するまでが中間時代と呼ばれている(約400年)。ある人は神の沈黙時代と言うかもしれないが、この時代の特徴は、神は契約をお忘れになっておられないことと神は約束の準備を確実に進めておられたということである。では、この400年間はどういう時代であったのだろうか。①政治的状況として、異邦人の覇権国家が世界を支配した(ダニエル2:31-35)。バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマの興亡。②宗教的状況として、ユダヤ教のサドカイ派とパリサイ派は、中間時代に登場した。バビロンにより神殿が破壊され捕囚の民となった人々は、バビロンの地で会堂(シナゴーグ)を建てるようになった。神殿中心から会堂中心へ。1世紀には、ディアスポラ(民族離散)によりユダヤ人のいるところ480箇所あったと言われている。世界共通語のギリシャ語で旧約聖書が訳された(70人訳)。ヘブル語が読めないユダヤ人も自由に読めるようになっていた。③社会的状況として、ユダヤ人は、あまりに長きに亘り各国に支配され自由なき時代に生きていたがゆえに多大な影響を受けた。信仰は形骸化し絶望していた。それと共に霊的渇望が起こり、メシヤしか解決の道なし、と待望が高まっていた。この時代、異邦人も多神教と権力者に対する絶望感が強まり、ギリシャ語で書かれていた聖書を読むようになった。そのような下準備が整ったゆえに、ついに、神の時計の針は動きバプテスマのヨハネが現れ、「主の道を備えよ」と荒野で叫んだのである。そして、人々はイエスに出会い救いを受けた。さあ、お互いの長い何かの待ち望みがあるかもしれない。しかし、確かに神の時は来ることを信じようではないか。神の約束は必ず成就することを。