礼拝R30425

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 2021年4月25日 復活節第4主日礼拝 題:「救いの福音と御業」
聖書箇所:ヘブル人への手紙2章1~18節 説教:丸大勝牧師
私たちの救いの福音において重要な点として神が人間になられたという事実がある。この2章は、キリストの人性について記されている。分解1-4 御子の救いについての警告。福音というものは、1章に記されていたように、御子の命をかけて成し遂げられた救いの道である。御使たちにより告げ示された律法で裁かれるとすれば、神が御子により語られ、弟子たちと聖霊により証された救いの福音をなおざりにするならば、絶対にその罰から免れることはない。「いっそう強く心に留めなければならない」(1節)のだ。5-10 人類の代表者なる十字架の死を味わった救い主。では、神はなぜ御子を人としてこの世にお送りになられたのか。それは、人間の罪の贖いのためであった。元来、人間は万物を管理し支配するために造られていた。しかし、罪を犯しその恵みと特権を失ったのである。この人間の尊厳を回復するために人間の代表者である人の子として、世に来られたのである。彼は御使よりも優る者でありながら、「御使たちよりも低い者とされた」(9節)のだ。そして、「苦難をとおして(救い)全うされた」(10節)のである。それは、すべての人のために十字架の死の苦しみを受けて、贖いを成し遂げ、「多くの子らを栄光に導く」(10節)ためであった。受肉降誕の理由は、①人間と同じようになるため。(17,18節)。②罪人のために自らを犠牲にするため(10:3-10)。それにより救いの道を開き、またその死によって悪魔の策略を破壊し、人間を死の力から救い上げたのである。11-18 大祭司となられたイエス。イスラエルにとって大祭司は、神と民との間に立つ仲保者である。罪の赦しと清めのためにとりなしをするのである。キリストは完全な大祭司だ。大昔、ある人が没落して奴隷として売られたとする。その場合、最も近い近親者がその人を代価を払って贖うのである。それと同じように、キリストが人類の兄弟となるために血肉を備えたのも、人間を贖うためである。肉体を持って来られたことにより、主は弱い人間のことを理解された。試練を受け苦しまれたからこそ、試練の中にいる者たちを助け救い出すことができるのである。主が助けようとしておられるのは、天使ではなく人間である(16節)。「主は、兄弟と呼ぶことを恥じとされない」(11節)。何と感謝なことか。