礼拝R30516

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 2021年5月16日 復活節第7主日礼拝 題:「大祭司キリスト」
聖書箇所:ヘブル人への手紙5章1~10節 説教:丸大勝牧師
ヘブル人への手紙は、手紙と呼ばれているが、実際は一つの目的をもって書き送られた説教である。著者は、新約は旧約にまさり、キリストの祭司職はレビ系の祭司職にまさること。不完全な人間の営みとしての儀式による贖罪は、キリストの十字架によって完全に成就したことが切々と語られている。2章から4章までに、すでに大祭司キリストについて触れられてきた。5章に至り本格的にキリストの大祭司論の展開となる。分解1-3 大祭司は思いやることができる。4-6,10 神に立てられた大祭司。7-9 永遠の救いとなられたイエス。11-14 信仰の幼稚さと怠慢の嘆きとそれを思いやるイエス。「旧約の祭司」①祭司は神と人の仲保者となるために神により立てられたこと。②祭司は人と一体となること。③神により任命された祭司であること。「新約のイエス」①主は、神に立てられ(詩篇2:7)、②人と一体となられ(ゲツセマネの祈り・苦しみの体験)、③神に任命された(全き者・永遠の生命の与え主)。主を心から崇め賛美しようではないか。しかしそのためには、信仰者が克服するためのいくつかの困難がある。それは、ある意味で人の弱さでもある。①キリスト信仰の全体を把握するには時を要すること。②聞く耳が鈍くなること。そこで、大切なことは、その弱さを認めつつ、主の助けによって、①真理の探究者であること。「これまでもこれよかったから、これからもこの程度でよい」と決めつけてはいけない。そんなことは、聖書のどこを探しても書いていない。「もっと真理を知りたい。もっと主の知識を得たい」と願っていくことが肝要である。②霊的成長を目指すこと。いつまで経っても霊的子どもであってはならない。ちょっとしたことですねたり、かんしゃく玉を破裂させたりするのではなく、また自分の思いどおりならなければ何もしないということのないようにしたい。そのような霊的な子どもであるならば主に申し訳ない。ディズニーのピーターパンのことをご存じであろう。この名前がついている症候群がある。それを、「ピーターパン症候群」という。すなわち、ピーターパンは、大人になりたくない少年なのだ。これを心理学に取り入れて、大人として成長したくない人たちの精神的傾向のことをこう呼ぶのである。さあ、円熟を目指して進もうではないか(ヒリピ3:13,14)。