礼拝R30613

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 2021年6月13日 三位一体第3主日礼拝 題:「血の信仰」
聖書箇所:ヘブル人への手紙9章1~22節 説教:丸大勝牧師
1972年頃、イザヤ・ベンダサン(山本七平氏)の「日本教について」という本がよく読まれていた。印象深かったことは、日本では誰でも日本教の影響は避けられず、キリスト教徒も「日本教徒キリスト派」に陥るものだという主張であった。ヘブル人への手紙を受け取ったイタリヤにいるユダヤ人キリスト者も旧約の神殿礼拝等の習慣から、なかなか離れにくいものを持っていたようだ。ユダヤ教徒から抜け切れていなかったのである。そこで、著者は8章に続いて旧約と新約を比較している。地上の祭司と幕屋儀式と天におけるそれとを対照した。分解1-10 旧約時代の聖所とその奉仕。ユダヤ教の幕屋(神殿)礼拝は不完全なものである。大祭司が毎年繰り返す犠牲による清めの祈りをすることでもわかる。それは、本物の礼拝の予表であり影であった。11-14 天の聖所に入り永遠の贖いを全うされた大祭司キリスト。キリストは実際に何をしてくださったのか。それは、一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを全うされたのである。それは、良心までも清める救いの出来事であった。15-18 キリストの十字架の死のゆえに新しい契約は堅くされた。この新しい契約は遺言状として説明されている。作成者の死後のみ有効。19-22 命である血の犠牲の必要。旧約の儀式において命そのものである血が多く用いられたことは、人間の罪のためにある大犠牲が強く要求されていたことを示している。その血とは、血生ぐさい凄惨なものではなく尊い神の御子のご宝血である。「栄光の血」である。23-27 旧約に優るキリストの犠牲。本章の鍵言葉として「一度だけ」がある。主は一度だけ世の罪を取り除く神の小羊として聖所に入られた。その時期は、世の終わりであった。そして、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられたのである。この言葉の意味は、「一度で全部(完全)」ということである。もはや補うものなし。完璧。完成した救いなのだ。この事実の重みはいかばかりか。今日、この驚くべき内実の豊かな恵みを与えられておりながら、もしそれを受け取っていないとするならば、どれだけの損失であろうか。28 再臨と救いの完成。この章には、黙示録と繋がることが記されている。それは、主の再臨である。主はやがて最後審判を経て新天新地を確定されるのだ。