礼拝R30829

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 2021年8月29日 三位一体第14主日礼拝 題:「生ける望みと試み」
聖書箇所:ペテロの第1の手紙1章1~13節 説教者:丸大勝牧師
今日は、旧会堂における最後の礼拝である。教会歴史二度目の会堂となったこの礼拝堂での47年間の歩みを振り返り、万感の思いを込めて歴史の主を礼拝したい。使徒ペテロは、AD63年頃、ローマから迫害下にある小アジアの五州にある諸教会に、信徒たちを励ますために手紙を書き送った。初代教会時代、各地に離散していったクリスチャンのことを思う時、彼らは信仰のゆえに家を追われ、職業を奪われ、住み慣れた地から逃げ出した人たちである。信仰と引き換えに地上の良きものを失った人々でもあった。まさに試練の中を生きていったのである。分解1-2 挨拶。3-9 生ける望みとそれに伴う信仰の試み。10-13 預言者たちと救い。14-22 救われた者の聖い生活。23-25 神の生ける御言による恵み。この手紙は苦難の中にあるクリスチャンを励ますものであるため、キリストの苦難が強調されている(2:23,24,3:18,4:13,5:1)。「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20:35)とあるように、主イエスのご生涯は全くそのようであった。主はご自身のいのちを与えるためにこの世に来てくださった。主は与えることにより喜ばれたのである。クリスチャン人生は、救い主から良きものを与えられたところからスタートする。主のいのちがすでに与えられているのだ。私たちは失ったことに重きを置きやすい。しかし、私たちの本当の信仰生活は、与えられたものにどう答えていくかが問題なのである。つまり、得ることよりもささげていく、失っていくことが神信仰の大きな特色なのである。私たちは、主の十字架の死と復活により、天に蓄えてある朽ちず汚れず、しぼむことのない天の資産を受け継ぐ者とされている。それは地上にはない尊いものであり、それは言語に絶する素晴らしい驚くべき宝である。そのことに私たちはもっと大きな喜びを見出したい。主は、「自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び」(ヘブル12:2)とある。生ける望みは、大きな喜びとなってその人を満たす。それは患難や苦難の試練を越えさせるものである。まさに初代教会のクリスチャンがそれを証しているのではないか。マヘリヤ・ジャクソンという20世紀最大のゴスペルシンガーがおられた。彼女も生ける望みにより試みを越えた人として知られる。