礼拝R30905

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 2021年9月5日 三位一体第15主日礼拝 題:「聖潔と生ける御言」
聖書箇所:ペテロの第1の手紙1章14~25節 説教者:丸大勝牧師
主の聖名を崇め高らかに賛美する朝を迎えた。本日、長年の祈りの結晶である新会堂が完成し、主に感謝しつつ、入堂の恵みに与ることができた。ハレルヤ❕ 私たちは、過ぐる定礎式において、第1コリント3:11を読んだ。「この土台はイエス・キリストである」と。この御言に立って新たな礼拝堂建築が始まったのである。すでに据えられている土台の上に他のものは建てられることはない。主イエスの土台の上にこれからすべての教会の営みがなされる。ここで福音が宣べ伝えられ、キリストが告白され、救われる者が起こされる。そして、聖礼典が執行され、洗礼式と聖餐式により、驚くべき神の恵みと祝福が教会を通して証され、神の栄光が顕されるのである。また、キリストのかたちなるまで、召された者たちが霊的に整えられて成長し教会が建て上げられ、さらに地域と世界に向かって宣教がなされていく。まさに、私たちはそのためにこの新会堂が主により与えられたことを深く感謝したい。さて、教会には歴史がどんなに移り変わっても変わってならないものがある。それは、信仰の根幹である。十字架の死と復活とペンテコステの聖霊降臨の普遍的救いと恵みはもとより、神の言である聖書の権威を信じる信仰と聖き人生を全うするために聖潔(きよめ)の信仰に生きることである。ここでもペテロは初代教会の異邦人クリスチャンに対して語っている。不変的真理であることを覚えたい。23,24節を金言としよう。私たちは、神の変わることのない御言によって救われた。人と人との真心が触れ合って残る言葉もある。そのような言葉を記憶に留めておられる方々もあろう。しかし、人間の「まこと」というものは、それが人間から出たものである限り、やがて消えゆくものではないだろうか。神の「まこと」は決して消えない。永遠に刻まれる。神の言という時、それは神が語られた言葉ということだけではなく、主イエスのご生涯そのものが神の言である。それは、時間と空間を越えて、永遠の神の「まこと」として人間の歴史に示されてきた。全世界の福音を聞いた者が信仰によって、それを体験するならば、神のまことを信仰によって心の中に結ぶ人となる。またその人も、いつまでも残るのである。この会堂で新たな出発をする私たちもそのような主の証人になりたい。