礼拝R30919

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 2021年9月19日 敬老の日礼拝 題:「キリストを主と崇める」
聖書箇所:ペテロの第1の手紙3章8~15節 説教者:丸大勝牧師
今年の敬老の日を覚えて高齢者の方々を主の名によって祝福したい。少しでも長く生きたい、少しでも若くありたい、というのは、すべての人の偽りなき本心であろう。ところがその願いに反して、いつしか視力もにぶり、歯も抜け、髪は薄く白くなり、体力が衰えてくる。老いることを実感するようになる。そして、精神的にも、不安や孤独が想像もつかないほど心を支配するようになる。また、取越苦労や過越苦労や死ぬことに対する不安と恐れで熟睡が難しくなることもある。私たちは、これと似た老いの悲哀を味わってはいないだろうか。安心した老後は、経済的保証や社会環境がよければ得られるのではない。それは、その方の心の持ち方による。この3章は、前章からの続きで異邦人社会での信者の生活と苦難と戦う信者について記されている。分解1-7 異邦人社会での信者夫婦。8-12 異邦人社会での信者同士。13-17 苦難の意義。18-22 苦難の模範。8,15節に特に注目したい。現実として信仰を持っている人も信仰を持っていない人も同じよう老いていく。けれども、信仰は老後において大いにその違いをもたらす。実は、創造主により造られた人間には、心と体の他に、神と交わりができる霊がある。「わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(第二コリント4:16)とある。ここで霊の命のことを内なる人、心と体の命のことを外なる人と言っている。誰でも歳とともに外なる人は衰えていく。だが、キリストを主と崇めて、神と交わりをする内なる人は、生き生きしてくる(主の十字架の死と復活による罪の赦しと永遠の命を持つ)。このような人は、いつもキリストと共に生活しようとするので、いまわしい孤独感や喪失感からも解放され、肉体の衰えや余生の短かいことなど気にしなくなる。そればかりではなく、日々聖書の御言葉に養われる時に、内なる人は新しくされる。神の慰め、励まし、力づけを受けるのである。そして希望に生きるのだ。もう一つのことは、互いに支え合い祈り合い共に共同体において歩むことが大事になる。「皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい」(8節)とある。人は一人で生きるのではなく人との関係の中に生きるのだ。