エッセイNo4

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 ・・・ 牧師エッセイNo4 ・・・

 神学生時代、信徒運動の一環として生み出された大阪の朝祷会(朝食祈祷会)に参加したことがあった。そこに年配の牧師の河野進先生が参加しておられた。後で知ったことだが、河野先生は有名な詩人であった。その後、数多くの先生の詩に触れてきたのだが、その中でも、とても印象深い詩を忘れることができない。

 

 「ふとした一言が 大きな喜びに ふとした一言が 深い悲しみに ふとした一言がいやしがたい傷に ふとした一言が 天使の慰めに ふとした一言が 希望の太陽に 一言に重さを覚えさせてください 一言だけに仕えさせてください」

 

 私たちの日常生活の中で使う言葉には力がある。たった一言であったとしても、誰かを生かしたり殺したりするのではないだろうか。お互いの言葉の用い方については、よくよく気をつけなければならない。

 

 以前、臨床心理学者であった霜山徳爾先生がNHKラジオの番組で、興味深いお話をされたことがある。その頃、大学で教えておられた先生は、将来カウンセラーを希望する学生を対象に授業をされたそうだ。その講義であるテストをしたという。

 劇作家菊田一夫の青年時代のエピソードをあげた。かつて、菊田一夫は貧乏な書生で、ある雪降る日、すきっ腹をかかえて、冷たい道を歩いていた。すると向こうに、牛めしの屋台が見えた。菊田さんは、いそいそとやってきて、いっきに一杯をたいらげてしまったが、とても腹がすいていて、もう一杯食べたい。でもそのお金がない。そのことは屋台の主人には一目瞭然であった。さあここで霜山先生は、学生に質問をした。「もしあなたがこの主人ならば、この菊田一夫に何と言ってあげますか」と。

 

 三人ほどの学生が答えたようだが、ある学生は、「今日は俺がおごるから、遠慮しないで食べていきな」と答え、もう一人の学生は、「出世払いでいいから、今日は食べていきな」と言う。別の学生は、この世の厳しさを教えるために「また来てくださいな」と。

 

 ここで霜山先生は、これらの答えはカウンセラーとしては、みなふさわしくない答えであることを言われた。では、実際この屋台の主人は菊田さんに何を言ったのだろうか。

 

 菊田さんは、その主人から何かを言われた。そのために、帰りの夜道で涙が出て、泣けて泣けてしようがなかったという。

 主人は、こう言った。「書生さん。あいにく今日は大雪で、客が少なくって困ってんだ。すまねぇけど、一杯助けてやってくんねぇかい」と。

 

 何という一言だろうか。霜山先生は、最後にカウンセラーとして一番必要な心得は、その人の側に立ちその人の自尊心を傷つけないことであることを教えられたという。

それを何の訓練も受けたことがない一人の男性がやってのけたのだから驚きである。おそらく、この主人は常日頃から、相手の立場を理解する思いやりの心を大切にしていたのであろう。「理解する」とは、「相手の下(under)に立つ( stand)ことなのである。

「イエスさま。私たちも一言に仕えさせてください」と祈ろうではないか。