エッセイNo9

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 ・・・ 牧師エッセイNo9 ・・・
 

NO.9

クリスマスおめでとうございます! この年のクリスマスの恵みと祝福が豊かにあるようにお祈りいたします。

 

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである」第一ヨハネ3:16

 

 カナダでのクリスマスの夜の出来事である。一人の女の子が冷たい北風が吹き抜ける暗い道を歩いていた。彼女は小さなプレゼントを胸に抱いていた。やがて高いレンガの塀の続く刑務所の門に立った。

 

 その娘の父親が殺人犯で入れられていたのだ。

女の子は、守衛に父親への面会を申し出た。

 

「おじさん、お父さんに合わせて下さい。」

「ダメだ。もうとっくに面会時間は過ぎている。あした来なさい」

「あの~ お父さんにクリスマスのプレゼントを渡すだけなんです」

「だめだめ、刑務所の規則は厳しんだ。あした来なさい」

「あしたは、クリスマスが終わってしまいます。お願いです。ちょっとだけお父さんに会わせて下さい」

「だめだ、と言ったらだめなんだ。帰りなさい」

とうとう女の子は、泣き出してしまった。

 

丁度、そこへ刑務所の所長さんが通りかかった。かわいそうに思った所長さんは、やさしく少女に声をかけた。

「おじさんが、そのプレゼントをお父さんに渡してあげよう。だいじょうぶだから泣かないで帰りなさい。そして、あしたお父さんに会いにいらっしゃい」

 

実は、その女の子の父親は、手のつけられない囚人であった。刑務所の規則など絶対に守らない凶暴な囚人であったのだ。その男が、独房の中で娘のプレゼントを所長から受け取ったのである。

 

リボンをほどき、中を見ると一枚の紙きれがあった。

「大好きなお父さんへ。お父さんが殺人犯だということで恥ずかしくてお母さんは家を出てしまいました。クリスマスに、お父さんにプレゼントを贈りたいと思いましたが、お金がありません。そこで、お父さんが優しく撫でてくれた、私の赤い巻き毛を切りました。これを今年のプレゼントにします。お父さん、私はどんなに辛くっても、寂しくっても、お父さんの帰りを待っています。お父さんがんばって下さい。刑務所の中は寒いと思います。お父さん風邪をひかないでね・・・。」

 

読んでいく男の目にどっと涙が溢れてきた。男は箱の中から赤い巻き毛をつかみ出すと、その中に顔を埋めて泣いた。肩を震わせて泣いた。一晩中泣き続けた。

そして、次の日である。信じられないことが起こった。

男はまるで別人のようになっていたのだ。それも、大きな刑務所の中で、最も模範的な囚人として生まれ変わったのである。

 

これは、新聞に紹介された実話である。

 

刑務所のあらゆる更生プログラムを拒否していたこの父親は、娘の愛によって変えられてしまった。愛は、一瞬にして私たちの全人格と全生涯を決定的にしてしまう力を秘めていることがわかる。

 

その愛は、どこから来るのだろうか。それは、クリスマスを与えて下さった神さまから来る。

 

「イエスは、私たちのために命を捨てて下さるほどに愛して下った。そのことにより、愛がわかった。だから、私たちも他者のために命を捨てるべきである」とは、罪人を救われるキリストが十字架につき、私たちの身代わりに刑罰を受けて下さったことを示している。神さまはそれほどまでに私たちを愛しておられるのである。その愛を受けた者は、翻って今度は誰かのためにひたすら愛するようになるのだ。

 

これは、もう一つ逆説的な意味があって、「命を捨てる」とは、自分の命を削り、自分に死んで、相手のために生きることではないだろうか。愛がそうさせるのである。

 

このカナダの少女は、小さな命を愛する父親のためにささげたのである。

 

その命かけた愛は、どうしようもない人間を救った。ここに愛の奇蹟がある。

 

おそらく、「愛する」ことは、私たちの生涯のテーマなのだろう。どうか、神のアガペーの愛に生かされる者として整えていただきたいものである。

 

メリークリスマス!!!