礼拝R31226

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 2021年12月26日 年末感謝礼拝 題:「神の恵みによって」
聖書箇所:コリント人への第1の手紙15章10節 説教:丸大勝牧師
年の終わりに、私たちを守り導き生かしてくださった主なる神に感謝しつつ礼拝をささげよう。使徒パウロは、第二伝道旅行でギリシャの商業都市コリント(人口40万人、宗教的道徳的に堕落していた)で開拓伝道をした。しかし、教会が生まれたもののその後多くの問題で純粋な信仰が揺り動かされ、混乱し教会は苦闘することになった。そこで、パウロはもう一度初心に返って自分がコリント教会で語ってきたあの福音(よき知らせ)を、もう一度思い出すように熱く促しているのが、この章である。①福音とは何か。主イエスの十字架の死と復活による救いである。ローマ10:9,10。人は福音の三要素により救われる。②この奧義を自ら体験した。パウロは教会の迫害者であった。さんざん信者たちを捕らえて獄に投じて、彼らをいじめ倒した急先鋒であった。しかしながら、そのような赦されざる者をキリストは赦し受け入れ宣教の使命まで与えて用いてくださった。③今あるは神の恵みのゆえであること。ア、無駄にならなかった恵み。それを受けとめ自分のものとした。応答したとの意味。イ、自分の存在を消してただ主の栄光を求める者とされた。人は時として宗教さえ利用して己の野心や願望を果そうとする罪の性質がある。だがパウロは違っていた。使徒20:22-24。迫害が待っていると思われるパウロのエルサレム行を多くの人々は、反対し止めようとした。しかし、彼は主のためならば自分の命をさえ惜しまなかった。思えば誰にでも自己愛はある。自分のたった一つしかない命と人生も無駄にしたくない。そのような弱さと執着心が人にはあるが、パウロにとって、自分の利害、損得、名誉も恥も、一切のものを乗り越えさせるところの、キリストの恵みによる感動と喜びがあったのである。彼は、キリストのことを思う時、じっとしておられなかったのだ。自分の生活に安住することができず、何としてもこの神の恵みを人々に伝えたいと思ったのである。そして、それは行動となった。ウ、神の恵みに与るとは、救われて自分の思い通りの人生を生きることではない。無病息災、家内安全、商売繁盛を保証するものではない。優れた人は自分と比較するならばたくさんいるだろう。だがどんなに弱く欠けたる者も主の恵みによって立ち歩むのである(哀歌3:1-20)。感謝!