礼拝R40101

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 2022年1月1日 元旦礼拝 題:「神の祝福」
聖書箇所:申命記11章8~12節 説教:丸大勝牧師
新年に当たり申命記の御言を読みたい。本書の内容は、約束の地を前にして語られたモーセの訣別説教である。一部、モーセの死後資料に基づいて編集されている。この11章は、6章、28章と同様、素晴らしい神の祝福の約束と厳粛な警告とをもって、イスラエル民族の基礎的生き方として、神の御言を愛し真心から誠心誠意戒めに従うべきことを勧告している。11,12節は、新しい年を歩もうとしている私たちにとって示唆に富む言葉である。今年も山や谷があることだろう。喜びの山や悲しみの谷があるに違いない。しかし、天から降り注がれる祝福の雨の下に留まる人にとって、思いがけない試練や苦難で苦しみ悩みの涙にくれることはあったとして、そのまま絶望の淵に落ちることはない。その人は、神の愛と恵みに潤され、豊かな収穫を得ることができるのである。現実として今年も何が起こるかわからない。2年前、新型コロナウイルスの世界的パンデミック感染を誰が予測することができたことだろう。この年も私たちにいろいろなことが待ち構えていることだろう。だが、年の始めから年の終わりまで、あなたを顧み、常にあなたに目を注がれるお方を日毎に信じて歩むことができるならば、どういうところに置かれても大丈夫だと信じる。それは勝利である。思えば、私たち信仰者の人生は、「マイナスからプラスになる人生ではなく、マイナスそのものを神の祝福・神の幸せとして受けとめることができる」ようになるものである。そのような主の証人は多くおられるのではないだろうか。創世記のヨセフ、イスラエルの二代目の王ダビテ、涙の預言者エレミヤ、使徒パウロ等々。ヘレン・ケラー、レーナ・マリヤ、星野富弘等々。それらの方々は、尊い主の僕であり神の祝福の証し人たちである。新年を迎えて、今年こそ祝福と繁栄と勝利の年にしようと決断しておられる方。今朝はこの御言を神の約束として、しっかり握って主なる神に祈って歩んでいこうではないか。先の人々は、皆創造主、神に膝をかがめてへりくだって祈った。祈りなくして勝利はない。祈らない人は、自分で闘うしかない。自分ですべての責任をとらなければならない。自分で背負い込む重荷、他者から背押される重荷、一年分全部己の両肩にある。非常に厳しい人生だ。だが他の道があるのだ。