礼拝R40109

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2022年1月9日 成人の日礼拝 題:「土の器の中に」
聖書箇所:コリント人への第2の手紙4章7~10節
説教者:丸大勝牧師 
人間の心ほど複雑でよくわからないものはない、と言われる。精神分析者フロイトは、その人間の心を三つの領域に分けた。イド(本能的欲望)、スーパーエゴ(超自我・良心)、エゴ(自我・イドとスーパーエゴのバランスをとる)である。人間は、内面においてこれらの強弱や均衡調整によって日常生活を送っているのではあるが、時としてその結果人間関係が難しくなったり、自己像が乏しく劣等感の塊になったり、果ては健全な社会生活ができなくなったりする。それが土の器の弱さでもあるのだろう。「車はガソリンで動くものなのです」というCMが流されていた頃があった。今は電気自動車もあるがそれが昔の常識であった。聖書は、神のかたちに似せて人は造られているにもかかわらず、そのイメージを失っている。内側に生きる力を持っていない、というのがメッセージである。使徒パウロは、キリストの十字架の死と復活によりもたらされた救いの御業の結果、信じる者の内に、神の栄光の輝きであるキリストが心の内に住まわれることにより、人は測り知れない力をもって働くことができるようになることを語っている。この力は自分から出る力ではなく、神の力である(7節)。神の力は土の器である私たちを通して人々に働くのである。土の器に宝を持つ者は、内外から来る様々な問題に対して対処することができる。そのことのゆえに、私たち自身においても、また他の人々をも生かしていくことができるようになる。ある男性が、知人の保証人になった。ところが、その知人が事業に失敗し多額の借金を残して逃亡してしまった。当然その保証人に責任が背負わされることになった。男性には、妻と三人の子どもがいた。残された借金はこの家族に重くのしかかってきた。あわや一家離散か、一家心中か。しかし、男性は家族全員で借金を返す道を選んだ。平和だった暮らしは一変。男性は経営していた会社を売却して日雇いの仕事に出た。過度のストレスから心身共に疲れ果て入院を繰り返す。妻も子どもたちも必死になって働いた。11年後、全員で何と全額を返済したが、束の間家が火事で全焼。男性は全身やけどで再起不能宣告を受ける。それにもかかわらず、「まだやることがある」と言って立ち上がる。その秘訣はどこにあるのか。それは、福音の神の力にあるのだ。