礼拝R40116

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 2022年1月16日 顕現節第1主日礼拝 題:「心の冬から」
聖書箇所:詩篇119篇65~72節 説教:丸大勝牧師
寒さが身に応える日々が続いている。ご高齢者やご病人の方々は特に大変であろうとお察しする。このような寒さがなければどんなにいいのに、と思うが、この寒さが私たちには必要のようである。樹木は、冬の間は上に伸びず、外にも太くならない。その間、下に根を張る。春が来て上に伸びるため準備をしているのだ。寒風もいいものではない。しかしその寒気こそ、実は地中の害虫を殺し、来る年の豊作の準備をするのである。これらは神の愛のご配慮ではないだろうか。私たちは、極寒のただ中にあって、なおその中に秘められた神の深いご意思を悟って、寒い冬のために感謝したいものである。さて、自然界に冬があるように、私たちの人生にも冬がある。花咲く順境の春もあり、汗して労する勤労の夏もある。成功の実を喜ぶ収穫の秋もあり、太陽の光さえ見えない沈鬱な逆境の冬もある。それは何度も何度もめぐってくる。しかし、自然界の冬に対して神がご配慮してくださるように、私たちの人生の冬にも驚くべき恵みを備えていてくださるのだ。デボーションの小冊子「アパ・ルーム」を読んでいて思わされることは、世界のクリスチャンが日本人のクリスチャンと同じような人生の問題や苦しみに遭遇しながら、取り組んでおられることである。ページに記されている証しの言葉は皆読者が共感できるものである。日本人の信者として私だけが苦労しているのではない。さて、詩篇119篇は、御言の讃歌と呼ばれている。65節から72節は、苦難により一層御言を重んじるようになった神の御手の中で許された事を記している。一つ一つの苦難は決して喜ばしいものとは思われないだろう(ヘブル12:11)。しかし、それらを乗り越えていくならば、それを回顧する時すべてが益とされたことを知ることができる(ロマ8:28)。実に私たちの神は、「善にして善を行いたもう」お方なのである。私の小さな人生での冬の季節があった。それは、姫路時代の燃え尽き体験である。若さゆえにがむしゃらに働いていた。猪突猛進、爆走といえよう。大所帯の牧師として言いようのない大きなプレッシャーを感じながらの16年間であった。だが力尽きた。挫折して一年間翼を休ませて2003年、ここに来た。それは新しい人生のスタートとなった。そして、この年20年目の働きとなる。