礼拝R40123

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 2022年1月23日 顕現節第2主日礼拝 題:「ヨセフの人生」
聖書箇所:創世記50章22~26節 説教:丸大勝牧師
「天の下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」(伝道の書3:1)とある。私たちの人生は、その時の連続によりつづられている。信仰者の場合は、その人生をこう捉えることができる。「神のなさることは皆その時にかなって美しい」(同3:11)と。イスラエルの信仰の父アブラハムの曾孫にあたるヨセフも様々な時を重ねて110年の生涯を終えた。ヨセフの人生は具体的にどのようなものであったのであろう。①人に翻弄された人生。ヨセフは父ヤコブの年老いた頃の子であり父親は彼を溺愛した。それゆえに兄たちに妬まれ憎まれ、彼の17歳の頃外国に奴隷として売られてしまう。それ以来ヨセフは苦難の日々を過ごさなければならなかった。両親から引き裂かれ一人異国の地で孤独な人生を送るのであった。一時期、エジプト人ポテパルの家で彼は自分の立場を得る。主人が彼を重宝がるようになったからである。しかしその後が大変であった。無実の罪で獄屋に入れられ苦渋を舐めさせられた。エジプトのパロの夢を解き明かし、その賜物が認められ、獄から解放された後、彼は世界ききんからエジプトを救うことになる。ヨセフの30歳からの人生の新たな展開となった。彼はエジプトで家族を得て慰めを与えられるが、なお彼の心には過去の癒しがたい心の傷があったことであろう。②忍耐して待つ人生。思えば、ヨセフの人生は、神の救いを待つ人生であった。「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」(ロマ5:3,4)。ひたすら信仰によって自ら忍んで祈りつつ救われることを待っていたのである。これは、簡単なことではなかった。人は耐えることが難しい不幸なことに遭遇するようなことがあれば、人を呪い神を呪う。そして、人生を捨ててしまい自ら自死を遂げることすらある。人は待てないのである。③神が共におられる人生。ヨセフの人生の特徴は、どんな時も神が共におられたことである(創世記39:2,21,23)。「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」(創世記28:16)と、父ヤコブが逃避行した時の告白がある。脛に傷持つヤコブにも主は彼の罪を赦し荒野で共におられたのである。お互いの人生、臨在信仰によりただ忍耐して祈りつつ神の御業を待とうではないか。救いは神から来るのである。