礼拝R40227

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 2022年2月27日 四旬節第1主日礼拝 題:「使徒信条に学ぶ④」
聖書箇所:ヨハネによる福音書1章39節 説教:丸大勝牧師
第4は「我は主イエス・キリストを信ず」である。Who is Jesus.(イエスとは誰か)、人類は2000年来こう問うてきた。その問いに答えを得た者たち(クリスチャン)が、世界に24億人以上いる。イエスとは、ヘブル語のヨシュア(主は救い)のギリシャ語読みである。当時のユダヤ人がよく男子に名付けていたポピュラーな名前であった。しかし、ここで告白されているイエスはただのイエスではなく、主イエス・キリストとして言い表されている。キリストとは、姓ではなく職分を表わす称号で油注がれた者という意味である。イエスは、①神であり(ヨハネ1:1-3、5:17,18)、②神の子であり(ヨハネ5:18)、③完全な人であり(マタイ1:25,2:9)救い主である(ヨハネ1:41,3:16,使徒4:12)。クリスチャンは、これらのイエスを告白しているのだ。さて、ヨハネ1:24以下の出来事はたいへん興味深い。バプテスマのヨハネは、救い主の出現の備えの使命を与えられていた。彼が主イエスにバブテスマスを授けると聖霊がはとのように下り、主は荒野の試誘を経て公生涯にお立ちあがりになられたのである。主イエスは、初期の頃人々の中にひとり立たれ、ヨハネは、皆に「世の罪の取り除く神の小羊」として紹介した。それを聞いた二人のヨハネの弟子たちは、イエスについて行った。「先生、どこにおとまりなのですか」との問いにイエスは、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」と言われた。これは、弟子たちがイエスの宿泊先について知りたいと思っていたのではなく、「神の小羊」とは誰なのかを知りたかったのである。主は、ここで「私が誰であるのか、きてみなさい。そうすればわかる」と答えられたのである。二人の弟子たちは、ペテロの弟アンデレとこの福音書の著者ヨハネである。彼らは、主イエスに従うことによってこのお方がどなたなのかを体験的に知ることができた。ペテロもピリポもナタナエルも同様であった。キリストの弟子たちはフォロワー(つき従う者)となった時に、イエスが神であり、神の子であり、人であり、救い主であることがわかった。私たちも唯一の救い主により、彼の血潮の力により、父なる神に近づき、受け入れられ、赦され清められ、主と共に日々歩んでいくことができるのである。私たちは、どれほどイエスに近く生きているのであろうか。今日改めて問われている。