礼拝R40501

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 2022年5月1日 復活節第3主日礼拝 題:「聖霊を信ず①」
聖書箇所:ローマ人への手紙8章1~5節 説教:丸大勝牧師
「我は聖霊を信ず」。聖霊は、単なる神の力や影響力ではない。永遠より永遠まで父と子と共に一体なる神として生きておられる神である。三位一体の第三位格のペルソナである。ヨハネによる福音書20章22節では、聖霊は復活の主の霊として示されている。聖霊は永遠に実在されるお方ではあるが、私たち人間に対しては、キリストの十字架の死と復活と昇天の後でなければ来られることはなかった。父が救いを計画なし、御子がそれを実行し、聖霊がそのことを人間に示しわからせ受けとめさせて罪人の罪を征服された。そこに新生と聖化がある。使徒信条では三位一体について論じていない。また聖霊の働きについても記していない。しかし、父なる神を告白し、子なる神を告白し、「聖霊を信ず」と告白している。特にこの聖霊によって、父と御子がなされたことは、人間の生涯に及ぶものとなったのである。実に聖霊により神の救いは外側にあるのではなく、内側に来たのである(第1コリント2:10,ローマ8:16)。聖霊は不思議なことをなさる。神を信じなかった者が神を信じる者とされる。聖書の真理の言葉が単なる知識や情報に留まることなく、その人の人格と生涯に神の恵みと祝福が流れるようになる。十字架の死と復活とペンテコステの出来事が、絵空事のように思っていた人が、聖霊によってそれらの福音をわがものとするのである。英国のB.F.バックストン師に影響を与えたジョン・ウェスレー師についてはよく知られている。彼は18世紀の人だが、彼の人生に起こったことは今も語り継がれている。ウェスレーは、国教会の司祭の家の出身でオックスフォードに学び聖職者となり、やがて「メソジスト運動」(規律正しい生活運動)を展開し社会貢献をした。実際に社会的なよい働きは様々なされていった。彼はさらに恵まれた者として成長することを願い米国伝道の宣教師として現地に赴くのだが、そこでは多くの挫折を経験し、自らの罪深さを味わい、失意のどん底で帰国した。彼は信者であり教職者であったが、「聖さ」というプライドの着物は着ていたものの実際は、自分の内面の罪の解決はまだ体験していなかったのだ。聖霊は彼に内面の罪深さをお示しになられた。その三か月後、ある集会に参加し神の愛による十字架の真の意味を知ったのだ。