礼拝R40508

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 2022年5月8日 母の日主日礼拝 題:「薄幸の母」
聖書箇所:列王記上17章8~16節 説教:丸大勝牧師
薄幸とは、幸福に恵まれない運命にあること。ふしあわせ。不運のことである。運命とは、人間の意志にかかわらず、身にめぐってくる吉凶禍福。めぐり合わせのことである。昔の人は人間の力ではどうにもならない人生のことを運命論で理解しようとしたのであろうか。そこで、今朝の母の日礼拝において、どうにもならない薄幸の母について語ろうとしているのであろうか。答えは否である。幸福な人を紹介しよう。彼女は、神の人エリヤと出会った人物であり、背景として神の祝福からはほど遠い生活をしていたような者であった。出身はシドンのザレパテ、地中海沿岸のフェニキヤの町である。北イスラエルの最悪王アハブ(治世22年 BC875年-BC854年)の妻となった悪女イザベルはシドン出身であった。バアル宗教の根強い偶像礼拝の地域でもあった。その時代を概要すると、一国イスラエルが分裂して南北王国になって以来、北王国は宗教的に政治的に暗黒時代が続いていた。民衆の心は神から離れアブラハム契約など過去のものとなっていたのであろう。その最中神は神の人エリヤを立てて悪と霊的戦いを展開されるのである。エリヤはアハブに神の裁きとして数年間雨が降らないことを宣言した後、ケリテ川に身を寄せて敵から隠れる。やがて干ばつは各地に広がるのであるが、なぜか神はザレパテのやもめ女の家に行き養いを受けるように導かれた。そこは敵地であり異教の女の所である。彼はたきぎを拾う女に出会い、一口のパンを求めると、女はパンはなく、かめの一握りの粉と、びんの油があるだけで、息子と自分のために焼いて食べて死のうとしていると告げた。主は何という場所にエリヤを送られたことか。普通ならば考えられない。だがエリヤは確信の言葉を語る。「恐れるな。大丈夫。まずわたしに小さなパンを一つ作って持って来なさい。それからあなたがたがのために作りなさい。雨が降るまで、『かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』と主が言われるから、言うのである。無尽蔵の供給は上にある。ただ信仰の目だけがこれを見ることができる。エリヤの信仰は現実となり母と子は救われるのである。薄幸の母は、自分と息子の運命を呪い世をはかなみ心中しようとしていたが、生きる力を主からいただくのであった。ここに主との出会いがある。