礼拝R40529

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 2022年5月29日 復活節第7主日礼拝 題:「聖なる教会を信ず」
聖書箇所:マタイによる福音書16章15~18節 説教:丸大勝牧師
この箇所は、シモン・ペテロがイエスはキリストであることを告白したところである。主は、ピリポ・カイザリヤで弟子たちに尋ねてこう言われた。「人々は人の子をだれと言っているか」と。ある人はバプテスマのヨハネだと言い、またエリヤ、エレミヤなどであると言っていると弟子たちは答えた。これらの人たちは預言者であり、神の言を聞いた人たちである。そこで、主は「あなたがたはわたしをだれと言うか」と問うた。するとペテロが「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えた。ここでペテロの告白した内容は、主イエスは神のところから来られた方であり、預言者ではないことを明確に言い切っている。そして、主が神の子であり救い主であることを明言した。この告白を主は求められていた。その告白をペテロが代表して言ったのであろう。そして、主は彼を祝福され、その事をあらわしたのは、人間ではなく父なる神であることを示された。そして、続いて主は、そのペテロの信仰告白の上に我が教会を建てると言われた。福音書で教会という言葉は、この16:18と18:17だけである。この教会は、主が建てられたもので聖なる公同の教会である。公同の教会とは、単に自己の直属する一個教会だけではなく、他の教会との間に連帯関係をもって成り立つ全体的教会を意味する。私たちの日本基督教団の教憲前文にこうある、「神は万国万民のうちからキリストに在って聖意に適う者等を召して、これを聖別し、恩寵と真理とをあらわして、聖霊による交わりに与らしめたもう。これがすなわち聖なる公同教会である」と。①教会には、まず全世界から主にあって聖意に適う者が召された。②神は恩寵と真理によって教会をこの世から分離させられた。③この世は、聖霊との深い関わりの中で導かれていく。聖霊は神の勝利の愛を本質としている。第一の愛は、父なる神の愛である。この愛は人間の罪により破壊されてしまった。第二の愛は、主イエスの十字架の犠牲の愛である。第三の愛は、聖霊の愛だ。赦された罪人の罪を実際に征服していく勝利の愛である。人間の愛は他者を愛していくことはできない。しかし、聖霊は共同体に働き古き人を聖化されるのである。このように、罪赦され清められ新生した人間により公同の教会は形成されているのだ。神は愛なり。