礼拝R40605

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 2022年6月5日 ペンテコステ主日礼拝 題:「聖霊と教会」
聖書箇所:エペソ人への手紙4章13~16節 説教:丸大勝牧師
聖霊待望祈祷会がなされ、ついに約束の聖霊は降られた(使徒1:4,8,12-14,2:1-13)。かくしてキリスト教会は誕生したのである。使徒パウロは獄中書簡として複数の手紙を書き送っているが、エペソ人への手紙もその一つである。小アジヤの諸教会に回覧された手紙でもある。内容は、高いキリスト者の地位と生活教訓、教会の奧義、キリストのからだ、キリスト者のふさわしい歩みについてなどがその大意である。今朝は、創立記念を前にして聖霊と教会の関わりについて学んでおきたい。パウロは、4章から6章で教会の実践的生活について語っている。4章1節から16節までは、キリストのからだである教会の一致を守り続けることの重要さを「救われた者にふさわしい生活」として指し示している。「あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き・・・聖霊の一致を守り続けるように努めなさい」(1-3節)とある。その聖なる努力は、教会的に成長することである。それは、信者が教会との繋がりで成長することを意味している。教会を離れて信仰は成長しない。①教会の成長は一致による(2-6節)。②賜物を生かす奉仕による(7-12節)。③教会の成長は質的なもの(13-15節)。これらは、教会との繋がりで与えられるものである。そして、教会の成長は、個人的な信者としての成長でもある。4:17-6章のところでそれが語られている。信者の個人的な成長は、聖霊との関係をどう持つかにかかっている。聖霊はキリストの霊として教会と個人にお働きになられる。そのお方はペルソナ(人格)である。それゆえに、このお方を悲しませてはならない(30節)。31節にあるように、聖霊は無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、いっさいの悪意を悲しまれる。むしろ、5:18にあるように、「御霊に満たされて」生きるべきである。この満たしは特別な宗教体験なのではなく、信者の平凡な毎日の生活の積み重ねの中で与えられる恵みである。それは、日ごとのデボーション生活を意味している。決して形骸化された習慣のことではなく聖霊との命の関係に生きることである。