礼拝R40612

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 2022年6月12日 三位一体第1主日礼拝 題:「聖徒の交わり」
聖書箇所:ヨハネ第1の手紙1章1~4節 説教:丸大勝牧師
「聖徒の交わりを信ず」と告白している。「聖徒」とは何か特別な人たちのことであろうか。否、これはキリスト者のことである。十字架による罪の赦しと贖いを与えられた神の子たちのことを意味している。「交わり」とはギリシャ語のコイノニアで、温かく互いを思いやり、助け合い、支え合う教会の共同体のことである。さらには、この3節によると「父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」とある。これは素晴らしいことでだ。私たちが信じる神は三位一体の神であるが、それは交わりの中にそれぞれの位格を持たれるお方として存在される唯一の神のことである。これは温かい人格的神を意味している(ヨハネ17:21)。私たちはそのような交わりに神の子となったことにより招かれているのである。礼拝、祈祷会、デボーション、教会の共同体に聖徒の交わりは存在する。そして、それは地区、分区、教区、教団に広がっていく。「活水の群」は伝道団体ではあるが、私たちは教会的な機能を組織として持っている。ここにも聖徒の交わりはある。互いのために祈り助け合い共に歩んでいるのである。ペンテコステの日に聖霊が降られ三千人の人々が集団バプテストを受けエルサレム教会が誕生した。そして、2:42にこう記されている。「一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈りをしていた」とある。初代教会においては信徒の交わりとして愛餐を常としていたが、それは聖徒の交わりとしての聖餐式でもあった。今日も私たちは、聖餐式に与ることにより、キリストと一つにされ、兄弟姉妹と一つにされる。「聖なる交わり」として聖餐による恵みの手段によって、それに与る者がパンと杯をいただくときに、そこで聖霊が働かれて記念と象徴を越えて目に見える外的な恵みの手段として用いられるのである。聖餐のパンとぶどう液を食し飲む時に、神は十字架の恵みと祝福を私たちに伝えてくださる。そこで新たな罪の赦しときよめが起こる。リアルなかたちで聖徒の交わりとして恵みを受ける。