教会概要

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私たちの教会は、聖書信仰に立つ福音的なプロテスタントのキリスト教会です。
エホバの証人(ものみの塔)、統一教会、モルモン教とは違います。お困りの方はご相談下さい。


ごあいさつ(教会案内)

「風越山の町から世界へ」 -心のオアシスでいやされてこの世に仕える教会-

ようこそ私たちの教会へ

 私たちのホームページにお越しくださり心より歓迎いたします。私たち飯田入舟教会は、1934年(昭和9年)6月16日、旧称飯田基督活水教会として創立しました。長い歴史を重ねて、飯田の町にある教会として歩んできました。1951年(昭和26年)には入舟幼稚園が幼児教育のために設立されました。学校法人信濃キリスト教学園入舟幼稚園とともに地域に根ざし、地域の皆様と共に歩んで参りました。(現在入舟幼稚園は宮ノ上に園舎が移っています。)近年は入舟幼稚園の保護者の方々を中心によって発足したゴスペルクワイア(オーハッピーボイス)が教会内外で活動して、町の人々によく知られるようになっています。
教会自体の目的は、健全な聖書信仰に生きることをモットーに
① 共に集い神を称える礼拝
② 老壮青の各年齢層と共同の心温まる交わり
③ 幸せの分かち合いとしての伝道
④ 一人ひとりの愛、喜び、忍耐などの信仰の成長
 を目指しながら、社会のニーズにも応えていきたいと切望しています。皆様方が当教会を現代の「心のオアシス」として用いていただければ幸せに思います。どうぞご来会ください。心より祝福をお祈りいたします。幼児からご年配の方々まで、どなたでもお越し下さい。

飯田入舟教会 一同


教会略歴

 

飯田入舟教会の信仰のルーツ(起源)を遡るならば、「活水の群」に至る。日本伝道隊の創設者であった、英国宣教師バークレー・フォーエル・バックストン師とその協力者バゼット・ウィリックス師の霊的流れに養われ導かれた、基督伝導隊の創設者柘植不知人師が、1923年(大正12年)12月、飯田において聖会を開催したことに端を発し、翌年2月、飯田基督伝道館(現飯田知久町教会)が設立された。昭和に入って間もなく、ホーリネス派の一つに信仰復興待望の動きが現われ、1933年(昭和8年)11月、飯田伝道館においても「活水の群」から藤村勇師、ホーリネス派からK師が招請されて聖会がもたれた。その際、信徒の中にK師の語る猛烈な再臨信仰ににて約30名の信徒が集会を持つに至った。これが飯田入舟教会の出発となり、同年12月上飯田入舟町に飯田基督活水教会の会堂を献堂した。  1935年(昭和10年)、K師がホーリネス派の福音使(牧師)として飯田基督活水教会に派遣されてきたが、信徒たちがホーリネスの強調する「イスラエル問題」についていくことが出来ず、K師は教会を去る事になった。その後、摂理の御手に導かれた福澤友男師が「活水の群」から牧師として招聘されて就任され、福澤師は霊調を整える為に、バックストン師の流れにある「日本イエス・キリスト教団」から、沢村五郎、小島伊助、佐藤邦之助の各師と「活水の群」から藤村壮七師を迎え聖会を開いた。教会創立2周年聖会では、7月12日、64名の者が受洗に与った。1938年(昭和13年)には、教会員数として男性58名、女性110名、子供49名、合計217名と記録されている。 1951年(昭和26年)には、幼稚園が設けられ地域に根ざしたキリスト教保育による宣教活動を拡大させた。1955年(昭和30年)には、伝道師として米山千里師が招聘され福沢師と共に複数牧会に携わった。1973年(昭和48年)、飯田市の区画整理に伴い現在の高羽町に会堂を新築した。1980年(昭和55年)代に入り、福沢師も高齢者となり後継者が与えられる為に取り組む事となったが、しばらく実現せず無牧時代を余儀なくされた。その後、2003年(平成15年)3月迄、3名の教師の牧会伝道が継続され厳しい状況の中も、群れは守られてきた。2000年(平成12年)には、伝道団体として1991年(平成3年)に新発足した、キリスト伝道会「活水の群」に教会会員として正式加盟した。2003年(平成15年)4月、丸大勝師が牧師として招聘され就任した。 現在は、21世紀において、飯田入舟教会が確かな使命と目標をもって教会の霊的立てあげと宣教の御業に仕えていくために大切な整えられる時を導かれている。